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最高裁判所第二小法廷 昭和44年(オ)135号 判決

上告人

吉田武二

右訴訟代理人

伊藤哲郎

被上告人

梨本久吉

右訴訟代理人

畠山国重

中村文也

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人伊藤哲郎の上告理由第一点について。

上告人が個人として被上告人に対して本件手形の割引を依頼したとの第一審における裁判上の自白が、真実に反するものとは認められない旨の原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の認定判断は、原審で取り調べた証拠関係およびその説示に徴して首肯することができ、原判決に所論の違法は認められない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するにすぎず、採用することができない。

同第二点について。

論旨は、要するに、受任者が委任者に対する民法六五〇条二項に基づく代弁済請求権は受任者が委任者に対し一定金額を第三者に給付すべきことを請求する権利ではあるが、委任者は、当該金額を第三者に対してではなく、直接受任者に委任事務処理に要する費用として給付しても、受任者と委任者との関係はこれによつて全く決済されるのであつて、このことは、この代弁済請求権が、委任者受任者間の関係においては、受任者の自己自身に給付せしめるべき請求権以上の効力を有するものではないことを意味するのであり、したがつて、上告人の被上告人に対する所論の損害賠償請求権をもつて相殺することはなんら妨げられないはずであるなどの理由を挙げて、原判決には、同法五〇五条一項、六五〇条二項の解釈適用を誤つた違法があるというのである。

思うに、委任者は、受任者が同法六五〇条二項前段の規定に基づき委任者をして受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめるうる権利を受働債権とし、委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として相殺することはできないと解するのが相当であり、大審院の判例(大正一四年(オ)第六〇三号同年九月八日判決・民集四巻四五八頁)の結論は、今なお、これを変更する必要はない。なんとなれば、委任契約は、通常、委任者のために締結されるものであるから、委任者は受任者に対しなんらの経済的負担をかけず、また損失を被らせることのないようにはかる義務を負うものであるところ、同条項は、受任者が自己の名で委任事務を処理するため第三者に対して直接金銭債務を負担した場合には、委任者は、受任者の請求があるときは、受任者の負う債務を免れさせるため、受任者に代わつて第三者に対してその債務を弁済する義務を負うことを定めているのであり、受任者の有するこの代弁済請求権は、通常の金銭債権とは異なる目的を有するものであつて、委任者が受任者に対して有する金銭債権と同種の目的を有する権利ということはできない。したがつて、委任者が受任者に対する既存の債権をもつて受任者の代弁済請求権と相殺することは、同法五〇五条一項の相殺の要件を欠くものとして許されないからである。なるほど、委任者が、第三者に弁済すべき一定金額を第三者に対してではなく、受任者に現実に給付することによつても、受任者と委任者との関係は、これによつて決済されることは、所論のとおりであるが、この場合には、受任者は、費用の前払を受けることによつて、第三者に対する債務弁済資金を取得することになるから、自己資金を調達する必要はなく、受任者の第三者に対する債務の免脱の目的にそうものといいうるのであるが、前記相殺が許されるものとすれば、受任者は、第三者に対する債務の弁済のための資金の調達を要することとなり、かかる相殺によつては、受任者の債務免脱の目的はなんら果されないわけである。また受任者が第三者に対し、自己の資金をもつて債務を支払つたときは、それは委任者との関係では委任者のため費用を立え替えて支払つたことになり、同法六五〇条一項による費用償還請求権を取得するわけであるが、受任者は、特約のないかぎり、委任者との関係では自己資金をもつて委任事務処理に要する費用をみずから立替払をする義務を負うものではない。むしろ、同法六四九条が委任者に対する費用の前払を請求しうることを、また、同法六五〇条二項前段が委任者に対し受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめうることを定めているのは、受任者に立替払の義務のないことを前提とするものであり、委任者が受任者の請求に応じないときは、受任者は、委任事務の履行を拒むこともできるものと解すべきである。しかるに、前述のような相殺を許すとすれば、受任者に自己資金をもつてする費用の立替払を強要する結果となり、右各法条を設けた趣旨が完うされないことになる。さらに、同条一項の費用償還請求権と委任者の受任者に対する金銭債権とは互いに相殺することができることは疑いを容れないが、かりに、既存債権と代弁済請求権との相殺を許すとすれば、それは、既存債権を自働債権とし、未だ発生しない将来の費用償還請求権を受働債権とする相殺を許すのと同一の結果を認めることになり、相殺が双方の債務の対立とその弁済期の到来を要件とする趣旨に反するのといわなければならない。これらのことは、要するに、同条二項前段の代弁済請求権は、通常の金銭債権とはその目的を異にしているがためにほかならないからである。なお、委任者が、自己の債務者にある事務を委任するような場合には、受任者がその委任事務に要する費用の立替払の義務を負担し、立替により発生すべき償還請求権と、委任者の受任者に対する債権とを対当額において相殺する旨の特約の存することも考えられるが、この場合は、特約の効果として相殺が許されるのであつて、このことは叙上の判断を左右するものではない。

それゆえ、上告人の相殺の抗弁を排斥した原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、上告上告理由第二点について、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

上告理由第二点についての裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。

多数意見は、委任者は、受任者が民法六五〇条二項前段の規定に基づき委任者をして受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめうる権利を受働債権とし、委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として相殺することはできないというのであるが、私は、この考え方には賛成することができない。

もともと、相殺制度の存在理由は、当事者双方が、相対立する同種の内容の債権を有する場合に、債権債務の簡易にして便宜な決済の途を与え、かつ、当事者の資力、信用に厚薄を生じたときにおいてもその間の公平を保持せんとするにあるから、相対立する同種の内容の債権を有する当事者間においては、法規または合意により相殺が禁止されているかあるいは債権の性質がこれを許さない場合を除き、第三者に不測の損害を与えることのないかぎり、相殺は当然認められるものと解さなければならない。代弁済請求権は、受任者が委任者に対し受任者に代わつて第三者に弁済をなさしめる権利ではあるが、内容的には金銭債権であり、単に給付すべき相手方が第三者であるというにすぎず、相殺を禁止すべき事由にはあたらないと信ずる。その理由の詳細は以下述べるとおりである。

まず、代弁済請求権は、民法六五〇条二項の規定するところであるが、同項は、同条一項との関連において考察する要があると考える。けだし、同条一項は、受任者が委任事務を処理するに必要と認むべき費用を支出したときの費用償還請求権について定めたものであるのに対し、同条二項は、それを補完するものなのである。すなわち、受任者が第三者に対し、委任事務を処理するに必要と読むべき債務を負担したが、未だその支払をしていない時期においては、受任者が、委任者からその費用の前払を受けて第三者に支払うことはもとより可能であるが(六四九条)、六五〇条二項は、その煩労をはぶき、受任者が、委任者に対して、直接第三者に債務の弁済をするよう請求できるという便宜な方法を設けたものであり、要するに六四九条及び六五〇条一項いわばバイパスたるに止まるものである。代弁済請求権は、形式こそ特殊であるが、費用償還請求権や費用前払請求権と別異の目的・機能を有するものではない。委任者が受任者に対して有する金銭債権を自働債権として費用償還請求権と相殺しうるのはいうまでもないし、さらにまた、費用前払請求権とも相殺できると解せられれているのであるから、これらの権利と実質的に異なるところのない代弁済請求権と前示自働債権との間の相殺を許さないとする合理的理由はとうていこれを見出し難いのである。

右の二つの債権がそれぞれ同額だと仮定して考えてみたい。その場合、もし相殺が許されないとするならば、受任者に対する既存の債権を取立てて、それを第三者に代弁済するか、あるいはまた、さきに第三者に対する代弁済を了して、しかるのちに受任者から債権の回収を図ることになるであろうが、かかる迂遠な路を辿ることは、委任者にとつて何の益もないことはもちろん、受任者にも煩わしさを強いるだけで、格別の利益を与えるものでないことは、多言を要しないであろう。さらにまた、委任者が受任者の求めに応じて第三者に代弁済をした後にいたり、受任者が支払不能の状態に陥つたときはどうであろうか。相殺制度は、正に以上のような事態に処して、便宜、簡易な決済をなさしめ、かつまた当事者間に公平妥当な解決をもたらさんとするものなのである。

つぎに、多数意見は、委任者は受任者に対しなんらの経済的負担をかけず、また損失を被らせることのないようにはかる義務を負うことを根拠として、受任者に対して自己資金による立替払を強要するような相殺は許されないという。なるほど、民法は、前示の法条をもつて、受任者に費用等の経済的負担をかけないよう配慮をしていることは事実であるが、そのことからただちに、相殺までも許されないとするのは、論理の飛躍であろう。委任の法律関係における受任者の保護が、多数意見の主張するが如き程度のものでなければならないとする理由を、多数意見は一体どこに求めようとするのであろうか。賃金債権や不法行為債権における相殺禁止には十分な合理的理由があるのであるが、それらに比較したとき、委任者と受任者は全く対等の契約関係にあり、その間には労使関係に見られるような力の強弱の格差があるわけのものではないし、また受任者が不法行為の被害者のごとく特に保護されなければならぬ筋合は見出し得ないのである。受任者に自己資金を調達せしめた場合、もしそれによつて委任事務が円滑を欠くことありとするならば、その不利益は相殺の挙に出た委任者の正に甘受すべきところであつて、法が敢てこれに介入するには及ばないのではあるまいか。なお、相殺を認めるとなると、第三者が不測の損害を受けるという反論があるかも知れない。しかし、第三者は本来受任者を相手方として取引をしたのであるから、受任者が無資力となつたために債権の回収ができなくなつたとしても、けだしやむを得ないものがあるというべきであろう。

さらに、多数意見は、既存債権と代弁済請求権との相殺を許すとすれば、それは、既存債権を自働債権とし、未だ発生しない将来の費用償還請求権を受働債権とする相殺を許すのと同一の結果を認めることになるという。しかし、金額が未定ならば格別、そうではないのであるから、委任者がみずから自己の利益を放棄して相殺することはもとより可能ではないか。しかもこれを実質上、費用前払請求権との相殺とも見ることができるのである。いずれにもせよ、右の理由づけをもつて相殺を許さずとなす根拠たらしめんとするのは、失当であるといわなければなるまい。

以上の次第で、私は、多数意見に賛成することができないのである。したがつて、上告人の相殺の抗弁を排斥した原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があるから、原判決は破棄を免れず、上告人の主張する金銭債権の有無についてさらに審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すべきものと考える。(村上朝一 色川幸太郎 岡原昌男 小川信雄)

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